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奥村土牛
手塚雄二
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手塚雄二展
画集

 奥村土牛

 撮影:秋山庄太郎


奥村土牛作品を紹介。近代日本画の巨星・奥村土牛の作品室です


奥村土牛作品-works of Togyu Okumura-

   『作品室』    『白仔犬』   




Topics

  ・2016年7月16日テレビ東京『美の巨人たち』にて奥村土牛『城』『門』が放映されました。
(再放送 8月10日(水)BSジャパン23:00〜)

    『〜美の巨人たち〜』ホームページ


  ・開館50周年記念特別展として、山種美術館にて奥村土牛展が開催されました。

   「奥村土牛 -画業ひとすじ100年のあゆみ-」
(2016年3月19日→5月22日)

    『山種美術館』ホームページ


  ・2014年8月24日 NHK Eテレ『日曜美術館』(20:00〜)にて奥村土牛の特集が放映されました。

   「春、こころの桜 日本画家・奥村土牛」
(2014年4月27日、5月4日放映のアンコール放送です)

    『日曜美術館』ホームページ


  ・2013年7月28日 NHK Eテレ『日曜美術館』(9:00〜)の「夢の富士山 傑作10選 〜巨匠たちの知
   られざる物語〜」にて奥村土牛『平成の富士』(1990年作)が放映されました。
   (再放送翌週 8月4日 20:00〜放映)

    『日曜美術館』ホームページ


  ・2012年4月14日テレビ東京『美の巨人たち』にて奥村土牛『醍醐』(1972年作)が放映されました。

    『〜美の巨人たち〜』ホームページ


奥村土牛 年譜-biography-
明治22年(1889) 2月18日東京市京橋区(現東京都中央区)に生まれる。本名義三
32年(1899) 日本橋区城東尋常小学校を卒業、高等科に進学するも、病弱の為一年あまりで中退する。
38年(1905) 梶田半古の門に入り、以来、先輩小林古径の指導を受ける。
大正 6年(1917) 父・金次郎の営む朝陽舎書店より、木版の『スケッチそのをりをり』刊行に際し、父が寒山詩の中から『土牛』という雅号をつける。
 9年(1920) 小林古径が馬込(現大田区)に建てた画室に留守居役を兼ねて住む。
12年(1923) 前年、父が脳溢血で倒れ、一家の家計を支えることになる。九月の関東大震災により、京橋から下高井戸に移転する。
15年(1926) 五月、第一回聖徳太子奉讃展に『牛』を出品する。古径の紹介で速水御舟の研究会に出席する。
昭和 2年(1927) 九月、第十四回院展に『胡瓜畑』が初入選する。
 4年(1929) 十一月、古径の媒酌で森仁子と結婚、麻布市兵衛町(現港区)に住む。
 7年(1932) 六月、日本美術院同人に推挙される。
10年(1935) 十月、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)日本画科の教授となる。
11年(1936) 二月、第一回帝国美術院展覧会に『鴨』を出品、推奨第一位となる。
12年(1937) 三月、父・金次郎死去(享年七十七歳)。
13年(1938) この頃より酒井三良と取材旅行を始める。初めは福島から青森へ行く。
15年(1940) 一月、風邪から肺炎を併発、臥床半年に及ぶ。
19年(1944) 六月、東京美術学校(現東京藝術大学)の講師となる。
20年(1645) 二月、母・たま没(享年八十三歳)。五月、空襲により家が焼失し、長野県南佐久郡臼田町に疎開する。
22年(1947) 四月、帝国美術院(十二月に日本美術院と改称)会員に選出される。
23年(1948) 武蔵野美術大学の講師となる。
26年(1951) 十一月、疎開先から帰京、杉並区永福町の住居に移る。十二月、東京藝術大学講師を辞して武蔵野美術大学日本画科の教授となる(41年に辞任)。
28年(1953) 三月、多摩美術大学日本画科の教授となる(41年に辞任)。
29年(1954) 十二月、奥村土牛展(日本橋・三越)開催、近作と素描を出品する。
31年(1956) 七月、奥村土牛素描展(銀座・松屋)が開かれ、素描34点を出品。
33年(1958) 二月、横山大観没、五月、日本美術院の組織が財団法人に改められ、監事・評議員となり、翌34年一月に理事となる。
35年(1960) 五月、奥村土牛自薦展(銀座・松屋)が開催され、47点出品。
37年(1962) 十一月、文化勲章を授与される。
38年(1963) 九月、奥村土牛自薦小品展(酒田・本間美術館)が開催され、作品19点、素描6点出品。
42年(1967) 一月から朝日新聞に連載された大仏次郎作『天皇の世紀』の挿画の一部を担当執筆する。
43年(1968) 五月、素描集の出版を記念して奥村土牛素描展(日本橋・三越)が開催され、素描約60点出品。
45年(1970) 十月、奥村土牛自薦展(秋田市美術館)が開催され、作品12点、素描10点出品。
46年(1971) 春の院展制作後、狭心症と前立腺肥大の疾病のため秋の院展は休筆。十一月、奥村土牛自薦展(横浜・高島屋)開催され、作品45点出品。
47年(1972) 十一月、奥村土牛新作展(日本橋・三越)開催され、7点出品。
48年(1973) 五月、奥村土牛展(渋谷・東急百貨店)開催され、作品75点、素描10点出品。九月十一日から十月七日まで日本経済新聞に『私の履歴書』を連載。これは翌49年九月『牛のあゆみ』として出版される。
49年(1973) 一月、奥村土牛素描展(銀座・松屋)開催され、近作素描18点出品。九月、奥村土牛の画室−近作素描−展(銀座・資生堂)が開催される。
51年(1976) 二月、アサヒグラフ別冊『奥村土牛』刊行される。
52年(1977) 五月、奥村土牛素描−中国古代青銅その他−展(銀座・吉井画廊)開催され、素描24点出品。
53年(1978) 二月、東宮御所の『白樺』、四月、皇居新宮殿の『富士』の二作品が完成、それぞれ納められる。五月、日本美術院の理事長に就任。十一月、素描集『わが身辺抄』の刊行を記念して、奥村土牛素描展(日本橋・高島屋)開催され、素描約40点を出品。
54年(1979) 三月、特別展・奥村土牛(山種美術館)開催され、作品70点、素描25点出品。六月、画集『奥村土牛』(文藝春秋)が刊行される。
55年(1980) 五月、奥村土牛自撰素描展(横浜・高島屋)開催され、素描46点出品。十月、東京都から名誉都民の称号を与えられる。
56年(1981) 二月、奥村土牛展(日本橋・三越)開催。六月、土牛絵付、浜田庄司・島岡達三作陶による土牛雅心会(横浜・高島屋)開催。約60点出品される。
57年(1982) 三月、奥村土牛の素描−巨匠と舞妓展(日本橋・高島屋)開催され、近作素描30点出品。十一月、盲腸炎のため虎の門病院に入院。翌春二月、全快。
58年(1983) 四月、奥村土牛−その人と芸術−展(岡山・天満屋)開催され、作品45点と素描を出品。
60年(1985) 九月、奥村土牛自撰素描展(横浜市民ギャラリー)開催され、素描90点と書、陶器出品。十月、奥村土牛展(西武百貨店有楽町アートフォーラム)開催され、作品48点出品。
61年(1986) 五月三日、NHKテレビで『奥村土牛・九十七歳のアトリエ』と題して近況が放映される。六月、書展(日本橋・壺中居)開催。九月、中央公論社より、奥村土牛書画集『白光』(限定版)刊行。
62年(1987) 二月、白寿記念奥村土牛展(山種美術館)開催。三月、白寿記念奥村土牛展(京都市美術館)開催され、新作『山なみ』を含む作品88点、素描・下図29点出品。
63年(1988) 二月、白寿を記念して、天皇陛下より菊の御紋章入りの銀盃三ツ重ね、皇太子殿下より御所に咲いた紅白梅を賜る。九月、百歳記念奥村土牛展−山種美術館所蔵による−(豊橋市美術博物館)開催され、作品53点、素描25点出品。
平成 元年(1989) 一月、NHK特集『百歳の富士−奥村土牛』が放映される。二月、百寿記念奥村土牛展(日本橋・三越)開催、作品74点出品。二月、日本放送出版協会より、愛蔵版『土牛素描』刊行される。
 2年(1990) 二月、満百一歳になる。五月、長野県南佐久郡八千穂村に、『奥村土牛記念美術館』が開館し、素描151点、書5点を寄贈。九月、現代日本絵画巨匠二人展<奥村土牛と中川一政>(パリ市立カルナバレ美術館)開催。九月二十五日没。
 3年(1991) 奥村土牛追想展(山種美術館)開催。

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